熱田区域の由来

熱田(あつた)のひみつ

新緑の熱田神宮

熱田西

区名の付いている熱田西は、少し昔にあった西熱田村を変化させたものだそうです。 そのままでも良かったという感想もありますが、西の配置が入れ替わっているのは名付け親の軽い遊び心なのでしょうか。 一番とか五番が後ろに付くのは熱田新田開発時にこのエリアを区割りしたからで、現在の熱田区には七番を除いた一~八番までが根強く残っています。 住所では○丁目や○番地が数字の使いどころとなりやすいのでこれはかわった住所に感じられ、さすがは名古屋市の熱田区、と人に覚えられやすいのが自慢です。 覚えやすいというか気になる地名に神宮というのもあります。 これは皆さんの予想通り熱田神宮の名前を使わせてもらっており、単純に全国的に有名な熱田神宮にちなんだ地名です。 名古屋市以外にも神宮と付く地名は多く、そのほとんどはそばに何かを奉っているお宮があるでしょう。 何も無い平凡な農村に神宮っぽい地名は付けられず、由来となる大きな存在があってはじめてこの地名を付ける権利を得られるのです。 似て非なる地名に新宮坂というのもありますが、神宮坂ではないことに気付いた人は注意力があると私は心の底から思います。 神宮(じんぐう)ではなく新坂(しんぐう)、寝起きだとうっかり見過ごしてしまいそうな違いで昼間でも気を抜いていたら勘違いしてしまいかねません。 由来は南新宮社の南の坂を新宮坂と呼んでいたことだそうです。

金山と鍛冶師

金山には名鉄やJR、地下鉄の駅があるので、名所となりそうな遺跡や寺院はあまり思いつきませんがいつでも駅前は混雑している印象があります。 ですが何もなかったわけではなく、付近にあった金山社というのが由来のようです。 また昔はこの一帯に鍛冶師が大勢暮らしていたそうで、そこから金っぽい地名になったとの話も聞いた事があります。 鍛冶師とは金属製品を製造する者で、武士が腰に下げている刀や畑仕事に使う農具をトントンカンカン叩いて造っているシーンが頭の中に浮かんできます。 お得意様はお金持ちの武士になるでしょうから、城下町に鍛冶師の一団が集まっていたとしても納得できる流れでしょう。 刀だけでなく鉄砲の生産も鍛冶師の業務ということまで考えれば、お城に住む大名だって彼らが仕事をしやすいよう、高品質な戦の道具を生産できるよう便宜を図って あげたのではということも想像できます。 我が領土を強固なものにするには鍛冶師の存在は必要不可欠、と重宝されていたのではないかとも思われますし、鍛冶師の集まる土地は日本中の城付近に多く存在していた というのが一般的な認識になるようです。 なのでずばり「金山」という地名も日本各地にありますし、同じような意味や由来を持つ地名もあちこちにあります。 それらの地域はかなりの確率で鍛冶師の住む町であったか、深いかかわりを持つ地域であると言えるでしょう。

南一番

地名にしておくにはもったいないほどの勢いがある南一番(みなみいちばん)ですが、特別な理由があったりふざけてこんな名前にしたのではありません。 熱田新田の一番の南側にあるから、それだけの理由でこんな直球の地名を付けたそうです。 芸人ぽい名前でもありますし喫茶店やマンション名に付けてもよさそうなインパクトの大きいネーミングですが、誕生秘話は意外とあっさりしたものなのですね。 時期的には熱田新田開発の時に一番~と区割りがされたのでそれと同時期かそれ以後にこう呼ばれることになったのでしょうが、なんとも大胆不敵な地名です。 北一番や北北西三番、と応用した地名が現れない事を祈るばかりです。 熱田の神宮付近には森後と呼ばれる地域もあり、熱田神宮の森の北側にあるからと、こちらも南一番に似たノリでつけられたようです。 でも受ける印象はまるで違い、静寂そうで心の落ち着く雰囲気を持っています。 本来土地の持っているパワーが関係あるのか、森後は御座主、鴻の巣とも呼ばれていた厳かな過去もあるせいなのでしょうか。 御座主とは神宮などの座主の居住地だったことから付けられていますし、並々ならぬ神々しさが感じられる由来です。 鴻の巣も鴻の巣があったからそう呼ばれるようになったので、こちらもなかなか良いエピソードに感動してもいいでしょう。 同じような発想で地名を決めたとしても、その土地の持つ力が名称に影響を与えているのかもしれませんね。