那古野の考察

「名古屋=那古野」説を検証

名古屋鉄道

浪越説

大波が越えた土地だからなごや、この発想はなかなか面白いのですが、もし本当にそうだとしたらその頃住んでいた人にとっては災難だったと思うと、面白がってしまう 自分を叱咤したくもなります。 たびたびビッグウェーブのやってくる海岸沿いに家を建てて住むのはとても恐いことでしょうし山間部に引っ越したくもなるでしょうが、現代のように引越し社や軽貨物便 のない時代では簡単に棲家を移す事ができなかったのでしょう。 先祖代々同じ土地で生活するのが当たり前、常識だったと思われますのでその環境に適応するしかない、災害も受け入れるしかなかったのかもしれません。 では波は浪と同じような意味で使われることを念頭に置いて浪越説を考えてみましょう。 江戸時代頃に作られた尾張古図という書物が猿投神社にあるのですが、そこに浪越という地名が記されているそうです。 有力な根拠はありませんがこれが名古屋の原型になったのでは、というのが浪越説で、完全に否定するだけの理由もないので今でも由来の候補に残っています。 今ではそんなイメージはないのですが、昔のナゴヤは海のある土地、漁師のいる土地として名を馳せていたことを知る者も多くいます。 そうなると波にちなんだ地名で呼ばれることもなんらおかしくはありません。 むしろ実際に1092年には激しい波がこの地を強襲したことを考えると信憑性もグンと上がってくるので、信じがたい伝説やデマとは別物と考えても良いでしょう。 なので候補のひとつとして浪越説は外せないのです。

海辺のなごや

なごやは日本中にあり愛知県に限らず各地で使われている地名です。 ねごや(根小屋)、なごえ(名越)のようになごやと似すぎている物も多く、そうした地名は駿河や伊豆、筑前や相模など全国にいくらでもあります。 それらの土地に共通して言えることに海が近いという点があります。 海岸沿いになごやっぽい地名が多い、つまり海辺の集落がほとんどということで、ならば海関係の由来があるのでは、という仮説が成り立つのです。 これが1箇所や2箇所ならたまたまの偶然かもしれませんが、当てはまるケースが多すぎるので真面目に考えるに値するのです。 そしてその事に初めて気が付いた人の注意力にも感心してしまいます。浪越説からも分かるように名古屋市は海とも密接な関係を持っていました。 漁師として生計を立てている人も多かったと簡単に想像できます。 漁師はナコ(魚子)とも呼ばれており、漁村の魚子屋(ナゴヤ)が原型になった、そう考える説もわりと有力のようです。 ちなみに名古屋市の緑区には根古屋という地名がありこれが由来なのではという説もありますが、根古屋は鳴海城由来のようですし時代的に矛盾が生じるのでこの説は あまり信じないほうが良いかもしれません。 鳴海城は室町時代に造られたもので平安時代の荘園に影響を与えた可能性は0%、逆ならありえますが根古屋→那古野の流れは考えられません。

那古野山古墳

愛知県名古屋市中区には大須があることはマニアならだれでも知っています。 大須観音やパソコンショップ、各種喫茶店などがあるので観光地としてではなく買い物やオムライスを楽しむために県外から大須へ足を運ぶ若者で溢れかえっています。 地下鉄の駅もあるのでナナちゃん人形で有名な名駅からも数分で到着できる、とても便利で楽しいスポットになっています。 そして大須には今から千年以上昔に造られた那古野山古墳があります。 古墳が流行していた時代は5世紀頃になるので正確にはもっと昔ですが、きりよく千年と言ってみたかっただけのことです。 そしてこの古墳は浪越山という名もあったそうなので、「那古野=浪越」という繋がりがなんとなく感じられますがいかがでしょうか。 本当に大須まで波が届いたのかは分かりませんが、なにかしら関連性があるのではと思わせる太古の那古野山古墳も由来関連として覚えておきましょう。 また名古野山(誤字ではありません)という山もあったそうで、この山を越える波が池を作ったという伝説も残っています。 同じ字ではないけどよく似ている、そして波が越えるという所もなんとなく由来に関わるのではと思える山ですが、今ではこの山はもうありません。 名古屋開府の際に崩して平地にしたとのことでもう名前を拝む事しかできませんが、 これも豆知識としてメモっておいてもよさそうですね。